2016年11月20日日曜日

エッセー⑤おいしいカクテル・20代の頃・小泉今日子

村上春樹氏エッセー⑤

【おいしいカクテルのつくり方〕

僕は20代・・30歳過ぎて小説家になったが、その前7年間は、バーを経営していた。

当然のことだけど、カクテルも良くつくった。シェーカーをシャカシャカと振って。
そのとき思ったんだけど、カクテルをつくるにも、うまい人と下手な人がいる。

うまい人が作ると割りといい加減に作ってもおいしいし、別の人が作ると丁寧に真剣に
作ってもそれほど、おいしくない。

どれだけ、練習しても、だめな人もいれば、最初からすらっと美味なカクテルを作れる人が
いた。
これは、もう生まれつきのものとしかいいようがない。

〔20代】

僕の20代は、ドタバタ忙しいものだった、普通は学校を卒業し、就職をし、それから結婚する
ものだけど、僕の場合、全く逆で、結婚、仕事、後で大学卒業とそういう順番になってしまった

20代の十年間で覚えていることといえば、毎日よく働いたこと、常に借金に追われていたこと
たくさんの猫を飼ったこと

そのほかの事は、ほぼ記憶にない、立ち止まってものをじっくり考える時間の余裕もなかった

皆さんの20代はどんな20代でしたか?

【ベネチアの小泉今日子】

イタリアに住んでいるとき、村上龍が、イタリアに来るというので、日本語の歌のテープを
欲しいと頼んだ。あれこれ五本ぐらいテープをみつくろって持ってきてくれた

ソニーウォークマンがまだ新製品だった時代の話だ。

そのなかで、僕は、「井上陽水」と「小泉今日子」の歌をよく、聞いた。

当時、個人的にずいぶんつらいことがあった、

知らない街をただ歩き回り、同じ音楽テープを繰り返し聞いた

春のベネチアは美しい場所だが、その旅行で覚えているのは、運河の水面から照り返す
穏やかな光と、ヘッドフォンで繰り返される小泉今日子の歌くらいだ。

この人生において、本当に悲しい思いをしたことが何度かある、それを通過することに
よって身体の仕組みがあっちこっちで変化してしまうくらいきつい出来事、

いうまでもないげど、無傷で人生をくぐり抜けることなんて誰にも出来ない

でも、そのたびにそこには、何か特別の音楽があった。ある時には、マイクロディビス
だったしあるときにはブラームスのピアノ協奏曲だった。

また、ある時は、小泉今日子のカセットテープだった。

〔たかやまかついち〕
私も、好きな歌手、歌は沢山あるが、倍賞千恵子はいいな思う、声もいいけど、なにより
発声がすっきり していて聴いていて気持ちがいい!

つづく

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