2016年12月13日火曜日

朴槿恵大統領の母が銃弾で倒れたその日韓国にいた

1974年8/15日、日本終戦の日、韓国としては植民地開放の祝日である。

この日、「光複節」式典の最中、朴 大統領を暗殺しようと、会場から、一発の銃弾が飛んだ。

弾丸はそれて、大統領には、当たらなかったが、斜め後方に座っていた、大統領の奥さん
陸英修夫人の頭部に直撃、その後死亡【ほぼ即死】した。

犯人は、会場で警備の人と打ち合いとなり、すぐに捕獲されたが、この会場にいた女子
高校生が流れ弾に当たって亡くなった。

この男、神戸在住の在日韓国人で、大統領暗殺を企て、まんまと、会場に紛れ込み
暗殺計画を実行に移した。

結局、犯行はこの男の単独犯だった。

この日は、旅行中の韓国より、帰国の予定で、釜山にいた、16.00分に手続きをして、ゲート
を出ようとしたら、小銃を持った兵士が来て、「戻れ!」と手で指示してきた。

その前15時頃、大統領夫人が撃たれて亡くなったとの、情報を聞いていたので、これはその
せいだと直感した。

つまり、「共犯者」を国外に出さない為の処置だった。


出国を禁止された私は、街の中に戻り、まずは、700ウォン【500円】の素泊まりの安旅館に
宿を取り食事以外は、外に出ない様にして、時を待った。

TVはすべての一般放送は中止となり、夫人の顔の映像だけが映しだされ、バックには、北欧
の作曲家グリーグの「ペールギュント」の中で母オーゼの死を歌った・「オーゼの死」・の曲が
一日中流されていた。【当時韓国は白黒TV時代だった】

そうして三日が経って出国禁止が解除され帰国できたがお金も底をつき帰るのがやっとだった

それから2ヶ月が過ぎた頃、韓国大使館より、現金封筒が届いた。

何だろう?と開けてみると、現金3.000円が入っていた。

三日間の足止め料として3000円送ります・・という事でした。

名簿から、住所氏名を探し出し、送ってきた訳だ

なるほど、こういう事もするんだなと思った。

外国旅行では、何があるか分からない

その5年後、また、韓国で大事件・・・続く



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